重要無形文化財「蒔絵」保持者(人間国宝) 室瀬和美

日本には、縄文時代早期の遺跡から漆塗装による装飾が施された資料が出土されている。また、ウルシの木片も出土され、炭素年代測定により12,600年前のものとされている。縄文時代の出土品の多くは土器類であるが、その文化を語る上で漆の存在は極めて重要である。日本では大陸とは別に、独自の漆文化が生まれた可能性が高い。その後の弥生・古墳時代では、目立つ資料が多く残されていないものの、漆文化が日本に途絶えることなく続いた。その下地があったからこそ、飛鳥天平時代に唐から多くの漆工製品や技術が入ってきたときに、違和感なく受け入れることができ、国内にレベルの高い技術が定着したと考えている。その当時の技法は螺鈿・平文・密陀絵等が大陸から多種伝わっているが、後に日本文化の中心的な表現として高度に発展した「蒔絵」という技法に限っては、大陸に伝存しておらず、その源流については謎のまま今日に至っている。今後、もし大陸において蒔絵の源流資料が発見されたとしても、大陸では続かずになぜ消滅してしまったのか、さらに疑問が広がる。

近世に至って日本の漆工品はヨーロッパ諸国にも広く知られることとなり、一時はjapanと呼ばれ、ほぼヨーロッパ全土で人気を博した。明治以降は、東京では東京美術学校(現・東京藝術大学)に開校時から漆工科が置かれ、江戸時代まで続いてきたレベルの高い漆工技術を継承し、産地産業における漆工技術とは違い、芸術性の高い表現を現代まで伝え、産地の漆工と共に日常と芸術の両輪による文化形態を今に伝えている。

このような歴史を持つ我が国の漆文化であるが、近代以降、漆が塗料全般を意味するlacquerと訳されてしまったため、現在でも漆工品と化学製品の違いを、言葉を通して発信する際の壁となっている。そして漆の特質を広く理解してもらうにも、漆はUrushiとそのままの言語で世界に発信したい。

今後、この日本の漆工文化が世界の中でも特殊な存在であることを踏まえ、歴史・芸術・産業・科学など専門家同士が互いに情報を共有するネットワークを持ち、日本の漆文化の特性と価値観の重要性を国内外に発信すると共に、次世代に伝える必要がある。この度、立ち上げられた日本漆アカデミーが母体となり、その活動が広がることを期待する。